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2010年02月10日(水) 記事No.66
ヤマカンさんが第6話で絵コンテきると言うことで、第5話まで見続けてきたアニメ「ちゅーぶら!!」ついに第6話を見ることが出来ました。

1.隠す事と明かす事

さてさてどのような画面になっていましたでしょうか、それを振り返って見たいと思います。まずアバンから今までと違うんだと言うことを明確に示した意思表示のカットが続きます。今まで「ちゅーぶら!!」では下着の扱い方が過剰で必要なローアングルでパンツなどの下着を恥ずかしげも無く女の子達が、我々視聴者に明かしてくれていました。ここには恥じらいと言うものが生まれようがありませんので、恥じらい→隠されているものがある→エロスを感じると言う図式は成立していなかったわけです。しかし、第6話では「破廉恥」と教師に揶揄される少女が登場します。これは教師達が口にしているように、今までの流れからアニメーターにとってまさに「扱いにくい生徒」なわけです。どう言うことかと申しますと、今までその演出のされ方から節操も無く下着が画面に氾濫していたにもかかわらず、今更その下着を恥ずかしいものだから隠さなければならないものなんだよ、だからそれをおおっぴらにしている天草と言う少女は破廉恥であると言わなければならない。これは説得力を出すのが非常に難しい。

そこで山本寛氏は何をしたか。この恥知らずな天原清乃と言う少女にスカートの中身を自ら明かさせるのです。今まで我々は盗視とも言うべきアングルでこのアニメのキャラクターの下着を観察してきました。それを敢えて天原さんに「見られているのは知っている」もっと言うと「あなた達は下着が見たいのでしょう、だったら見せてあげる」と言う態度を取らせることにより、視聴者の眼差しも白日元にさらすのです。ここまで鮮やかに自分の欲望を暴かれた視聴者は動揺せざるを得ない。これにより、完全に自分を優位な存在として、位置づけてしまうのです。そしてそれを視覚的に明らかにするのが階段という、舞台を生かし自らの立ち居地をキャラクター自身に、視聴者に対して高らかに宣誓させてしまうのは、鮮やかと言うほかない。

さらに、明かすばかりが芸ではないと、アバンでは天原さんの下着を見ることが出来ないのです。ここで隠すことが何よりエロいのでありOPからAパートが始まるまで我々は、天原さんにお預けを食らった犬のように待つしかないのです。アバンの立った数分の間で、今までのちゅーぶら!!と一線を画す空気を作ってしまった山本寛氏の手腕には舌を巻かされます。



2.カメラを通して見ると言うこと

言うまでも無く我々はカメラを通してしかキャラクターを観察することが出来ないのですが、山本寛氏程のアニメーターであれば当然その、カメラについて鈍感であるはずがありません。何も考えずにカメラを動かすことを嫌いそこに作家性までも与えてしまうから恐ろしい。上昇と下降、鏡→虚像→分身→模倣これは別に特別なものと言うわけではありませんが、分身と模倣がキャラクター同士の中で不可視のレベルで行われているのですが、それを象徴的に顕在化させているのが、感動的なのです。

カメラのアングルを使った演出も実に巧みで、今回のテーマとして「女としての魅力」これが見られることを意識することに始まると言うことは、天原さんが言っていることから明白ですが、その見られていることを意識している天原さんの視線の合わせ方が絶妙で、教室でグロスを塗っているのを注意された時に視線が天原さんと先生の間でかみ合わない。しかし、嘘のように我々視聴者と天原さんは眼が合うのであります。そうまるで天原さんが我々を見て話しているかのように錯覚させられる。

そして「気付かれていないこと」が前提のアングルであるパンツを下から撮るアングルも、必要にアオリが多いのに決して簡単に下着を映す事をしない、これにより視聴者の超越的な盗撮者の視点は封印されてしまったのです。そして何より鮮やかなのが追い討ちをかけるように、終盤は視聴者に「特権的な視点は与えましょう。ただしそれは上から見ることしか叶わない。」と語りかけるように、下着などまるで見えない俯瞰からの監視カメラ的なアングルでのカットに切り替わることです。視聴者は必ずしも自由で超越的な存在では無くそれは管理されているんだと、カメラが語るかのように思えるから、我々視聴者は悔しさと共に圧倒的な演出の前にひれ伏し、画面の鮮やかさに賛辞を送るしかないのです。



3.山本寛氏の知性と思慮深さ、それが愛でしょう

ちゅーぶら!!の6話は実に丁寧に撮られていて、キャラクターの映される位置一つとってもどのような存在なのか、どのような心情なのか、それを視覚的にわかりやすくするために効果的に画面の中心と端を使っておりますし、見事と言うほかないです。過激な発言含めて有名な方ですが氏の作り上げる緻密な画面を見ていると、そのアニメーションに対する理解の深さと情熱が感じられ、このような真摯な画面を見れる事があるからこそアニメを愛してると言えるのです。こんな作品を見れることがアニメファンとして至福の時なのです。



読んでくださった皆様「本当にありがとうございました」。今度はれでぃ×ばとかソラノヲトの感想を書こうと思います。ではでは
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